フォトエッセイ 残像の記録 12



郡 上 八 幡

 400年も続く連夜の盆踊りで知られる岐阜県郡上八幡は1559年、遠藤盛数によって築かれた郡上八幡城の城下町として栄えました。

 天守閣建造は険しい地形の中での難工事でした。たび重なる石垣の崩壊に困った普請奉行は当時の習慣で、哀れにも村一番の器量好しだった19歳のおよしを人柱に選び、工事を完成させました。

 今も、天守閣前にはおよしの霊を祀る観音堂があり、「およし、およし」と呼びかけると、およしの悲しげな声が返って来るそうです。

 4代城主遠藤慶隆は城下町の整備に力をいれ、それまであちこちで踊られていた盆踊りをひとつにまとめ、城下で踊ることを奨励し、人心の融和をはかりました。これが現在の郡上踊りの始まりとなりました。

 山内一豊は妻、千代の内助の功によって得た駿馬が織田信長の目にとまり、その後の出世につながりました。千代は初代郡上八幡城主遠藤盛数の長女とされ、その後一豊が秀吉、家康からも信頼される武将となれたのも千代の並はずれた才覚の故と言われています。

 作家、司馬遼太郎は郡上八幡城を日本で一番美しい山城と評しました。
                                               栗原 眞純

                                                 
随筆集目次へ    

inserted by FC2 system