フォトエッセイ 残像の記録 14



水 郷

  滋賀県近江八幡市の水郷の春です。1585年から5年間、近江八幡城主に任ぜられ、高い教養を持つ文化人でもあった豊臣秀次は戦国の世の疲れを癒そうと、この四季を通して美しいよしに囲まれた水路を作り、手こぎ舟の行きかう心なごむ水郷の城下町を作りました。

 春ともなれば細い水路脇の桜並木と菜の花が咲き乱れ、風に舞う桜の花びらのなか、鳥の声、風にそよぐよしの音、ギイーギイーという櫓の音、それにユーモアたっぷりの船頭さんの語りを聴き、舟に揺られながら春を満喫できます。 揺れる舟中では暖かいせいろ蒸し弁当が頂けます。

 そしてしばらくすると川辺のよしが青々と茂り、今度は緑の壁に挟まれた水路行を楽しめるようになります。2006年1月、国の重要文化的景観第1号に選ばれました。

 水郷めぐりは4業者が実施していますが、この桜の下を通るのはその内の1業者だけだそうです。行かれる方は確かめてからお出かけください。

 余談を少し。1591年淀君との間に出来た鶴松が病死した後高齢の秀吉は甥の秀次に関白を譲りました。

 しかし1593年秀頼が生まれると秀頼を後継者にするため、1595年秀次を高野山へ追放し切腹させました。

 なんと秀次だけでなく彼の係累39名も処刑してしまったということです。
                                                     
  大画面のパソコンが増えてきたので今回から写真のサイズを大きくしました。  栗原 眞純

                                                 
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