フォトエッセイ 残像の記録 26



イ ス タ ン ブ ル

 かつて、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と続いた大帝国の首都であったトルコのイスタンブルはアジアとヨーロッパの2大陸にまたがる大都市です。その中心にある黒海とマルマラ海を貫き、東洋と西洋を隔てているバルカン地帯の要衝、ボスポラス海峡周辺には日本企業が作った巨大な橋やトンネルがいくつもあります。

 イスタンブルは目下、大規模な反政府デモの中心にあります。この悲劇は、微妙な位置を占めるが故に時代に翻弄されてきたこの都市の歴史の必然なのかも知れません。

 しばらくの間、そういう嫌なことを忘れて、イスタンブルに残された華麗な遺産を思い起こすことにしましょう。下の写真が美しいイスタンブル旧市街の眺めです。

 メイン写真はトルコで最も広く知られ、1616年に完成したブルーモスクです。モスクの周囲に立てられたミナレットと呼ばれる尖塔の数がモスクの規模を表します。6本のミナレットがあるモスクは今ではここだけになりました。

 外観だけで無く、内部の壁、天井、柱を覆う文様が青味を帯びています。

 ブルーモスクのすぐ近くにあり、これまた有名なモスクが537年に完成したアヤ・ソフィアです。

 イスタンブルはアヤ・ソフィアを作ったローマ帝国皇帝、コンスタンティヌスがコンスタンティノープルと命名したのですが、1453年にオスマン帝国に破れ、以来イスタンブルと呼ばれるようになりました。イスタンブールと呼ばれることもあります。

                             栗原 眞純
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