フォトエッセイ 残像の記録 27



富 岡 製 糸 場

 成人式や結婚式で見られる振り袖の晴着姿は世界の民族衣装の中でも最も美しい衣装の一つだと思います。 この振袖の大半は生糸で織られるのが普通です。

 日本は一時生糸の生産と輸出両方で世界一を誇ったこともありました。 残念ながら現在では生糸の80%以上を中国からの輸入に頼っています。

 しかし極く少量ではありますが。小石丸生糸とか川俣シルクのような他国が真似の出来ない超高級な生糸や絹織物は今でも作っています。

 世界遺産に指定される少し前に群馬県の富岡製糸場へ行って来ました。1872年(明治5年)に日本で初めて作られた大規模な製糸工場です。

 明治時代、開国直後の日本にとって利益が期待された輸出品は茶と生糸しかありませんでした。 しかし、繭から生糸を紡ぐ工程は人手頼りで欧州の生糸とは大きく品質が劣っていました。

 明治政府はフランスから最新鋭の操糸機や蒸気機関を購入し、フランス人技師を雇い、養蚕業が盛んであった富岡に製糸工場を造りました。 そして多くの女工が全国から集められ、劣悪な環境の元で命を削りながら、富国強兵の国策に沿って生糸の生産を支えました。

 1875年には日本人のみによる操業が始まり早くも同じ年には中国を抜いて世界一の生糸輸出国となりました。その後、生産量、輸出量ともに1933年から1936年にピークを迎えました。

 古くは、生糸の交易はシルクロードを通って行われ、8世紀の天平時代にはペルシャ人が来日した記録もあり、日本がシルクロードの東の玄関と言われたこともあったのですが、明治時代以後の生糸は横浜港から海路欧州へと運ばれていました。

                                                              栗原 眞純

                                                 
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